国民の約半数が一日2ドル以下での生活をしている「最貧国」と聞くと想像を絶する貧しさなんだろうと思ってしまいます。しかし実際に見たラオスの景色からは悲壮感はまるで感じられず、そこに暮らす人々は素朴で、柔和で、そこかしこで子ども達が楽しそうに遊ぶ姿が見られる、まさに平和を絵に描いたようなところでした。
「教育や医療機関、インフラ整備、経済発展が遅れている」というのが、先進国が指定する「発展途上国」の平たい定義ですが、それはあくまでも先進国側からの一方的な見方のように思えます。 比較すれば確かにモノは無いかもしれませんが、明らかに僕よりも楽しそうに生きている人が大勢いました(笑)。GDPやGNIは、決して幸福度を測る数値では無いのだと、しみじみ感じます。
ボランティア活動を通して、ずっと考え続けてきたことがあります。 それは本当の意味で「人のために何かをする」とはどういうことなのだろう?ということです。 例えば誰かに対して「支援が必要な人」とレッテルを貼り、弱点を見ながら助けの手を差し伸べることは、果たして善行なのか、それともその人をみじめにさせているだけなのか。 自分ならどのように扱われたいかを考えれば、欠点や問題点を指摘されるよりも、良さや強みに気づかせてくれる人の方がよほどありがたいと思うに違いありません。
“物事に本来、善悪はない。ただ我々の考え方で善と悪に分かれる” これはシェイクスピアの有名な言葉ですが、何か「望まないもの」を見た時、いつでもまず最初に変えなければいけないのは、状況ではなく自分の考え方だと思うのです。
もし悲しみや弱さや苦痛を見ている人がいるなら、その人の隣で同じ景色を眺めながら、自分は静かにその中に喜びや強さや尊さを見出す。良い側面に沢山気づかせてくれる人。生きることもそんなに悪くないなと、思わせてくれる人。ナポレオンの言う「希望の商人」とはそんな人のことだと思います。
人のために役立ちたいと思うなら、まずはどんなにささやかでも自分が希望を見ていなければならない。自分が持っているものしか、他者に与えることはできないから。そして全ての出会いと瞬間は、その輝きを見出すためのレッスンなのだと、旅を振り返ってそんなことを思いました。
成長とは自らの価値観が「否定」から「肯定」に変わっていくプロセス。 もっともっと成長したい。そう思わせてくれる体験になりました。 関わって下さった全ての方に感謝です!